13日付の毎日新聞に載った「今週のテレビ指定席」というコーナーでは、開眼! 超能力TVという番組を取り上げていた。左程長く無いので引用する。
超能力と聞くと、多くの人が「ユリ・ゲラー」「スプーン曲げ」などを思い浮かべる。これは日本のテレビが残した悪しき遺産で、超能力や超常現象をバラエティーものの範囲に押し込めてしまい、まともに科学的アプローチをしようとする芽を育てなかった。先月から始まったこの「史上初!双方向超能力育成番組!」も、そんな歴史から多少うさん臭い番組かと見る人が出てくるのもやむを得ないだろう。
しかし、私たちの身の回りには普通の人より敏感な人がいるのも事実だ。透視、テレパシー、予知能力、念力に優れた人が、どうしてそうなったのか、欧米では100年前から研究されているという。伏せたカードの種類が見える(透視)、店に来た客の注文が言われる前に分かる(テレパシー)、さいころの目を振る前に言い当てる(予知)など、すべて5択で答えさせる演出は分かりやすくて面白い。超能力はいざ知らず、少なくとも集中力は高まりそうだ。
超能力と聞いてユリ・ゲラーやスプーン曲げが思い浮かぶのは非常に健全なことではなかろうかと思う。少なくとも、その両者のあまりにお粗末な顛末を知っておくのは、決して損なことではない。
サルでも分かる科学講座には下記の通り記されている。
トリックが介在する余地がある状態で「超能力」を行っているから、批判されてしまうのです。 しっかりと検証を行い、超能力の存在を証明すれば、超能力者も批判されることはなくなるのに 、なぜ彼らはそれをしないのでしょうか。
決定的なのは、”超能力者の行うことはすべて手品師も行うことができる”ということである。止まっている時計を動かすのも、スプーン曲げも何もかも。だからこそ、手品師こそが自称超能力者の最大の敵なのである。だから、超能力者がまずやることは、トリックの介在する余地の無いそれはもう凄いことであるべきであり、それが出来ないのであればせめて綿密な調査を行わなければならない。(なお、きちんとした科学的調査が行われた状況下で超能力の実在が示されたことは一度もなく、超能力者に有利な結果が出た際には必ず実験に不備があったことも併せて知っておいて損は無いと思う。)
一番如何なものかと思われるのは、「超能力はいざ知らず、少なくとも集中力は高まりそうだ。」と書くことで逃げが用意されていることのように感じられる。こういうことを書かれても、「ほら、見てごらんよ。ボクはちゃんといざ知らず、って書いてあるでしょ?」という感じだ。
もちろん、「超能力なんて非科学的なものはありはしないんだ」といった類の決め付けは避けるべきであるが、それと何でも信じるのはまた別のことであろう。きっちりとした評価は今後も行うので良いと思う。しかし、それを無かったかのように書くのはあまりに失礼である。
・・・と思っていたが、補陀楽通信で超能力が説明されていたとは・・・
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