2004.9.29
果たして世界は平和になったのか


 ついにブレア首相がイラク問題で謝罪したそうである。リンク先のロイターの記事を紹介する。

 英国のブレア首相は28日、労働党大会で演説し、イラク戦争に参戦したことについて部分的に謝罪した。イラク戦争を巡っては、労働党支持者の間でも、首相の姿勢に反対する声が上がっていたが、来年の総選挙を控え、これを抑える発言とみられている。

 首相は、「フセイン元イラク大統領が生物化学兵器を保有していたとの証拠は、誤りだったことが判明した。誤りと分かった情報については謝罪できるが、フセイン元大統領を追放したことについては、少なくとも真しに謝罪することはできない」と述べた。

 さらに、「元大統領が権力の座ではなく牢獄の中にいることで、世界は安全になった」と語った。

しかし、首相の演説は「首相の手は血に染まっている」といった野次や、キツネ狩り禁止計画反対派の怒号などで2回中断した。野次を飛ばした人物は会場から連行された。

 読めば明らかであるのだが、ブレア首相は戦争そのものが悪かったとは言っていない。彼が主張しているのは飽くまでフセイン元イラク大統領が生物化学兵器を保有していたとの証拠は、誤りだったのに、それに気付かずに戦争に踏み切ったことは悪かったと言っているのである。そして、戦争そのものに対して悪かったと思っていないことは「元大統領が権力の座ではなく牢獄の中にいることで、世界は安全になった」という主張からも裏付けられる。

 しかしながら、彼の主張はどうだろう。イラクが大量破壊兵器を持っている証拠とされたのは、当初から怪しいと思われていたものばかりであった。現在の時点から持田直武さんが主張するようなイラク戦争の大義、大量破壊兵器の虚構崩壊という記事を書くのは簡単だ、と批判する人もいるかもしれないが、兵器調査団のケイ元団長は「情報機関の判断は間違っていた」と断言していたのは今に始まったことではないだろう。事前に耳を傾けていれば十分に分かったはずだ。イラク戦争は起こらないのではないかと予想した田中宇さんは、その発行しているメールマガジンで反戦に動き出したマスコミと題して、このような主張をしていた。(なお、このメルマガは私も購読しており、事後になってから事前に知っていたように書いたものではないことは間違いない。)

「イラクはたくさんの大量破壊兵器を隠し持っているはずだ」と主張するアメリカ政府は、イラクの大量破壊兵器を探しに行った国連査察団に対し、兵器の隠し場所などについて、偵察機などによって入手した機密情報を提供することになっていた。ところが、米当局が査察団にわたしたのは無価値な情報ばかりだった。査察団がアメリカから受け取った機密情報は、古すぎるものか、憶測にもとづいた状況証拠か、もしくは単に間違いだったりした。

 ホワイトハウスから「偵察衛星による調査で、イラクが原子炉を稼働させたことが分かった」という機密情報が入ったため、査察団がその場所に行ってみたが、そこには原子炉などなかったという。査察団関係者は「強大な大量破壊兵器をまだイラクが持っているという米政府の主張は、ほとんど信用できない」とCBSテレビに語っている。

 余談ながら、外務省の見解も紹介しておく。この見解が全くの過ちであったことは明らかであるが、こういった過ちの背景にフセインが査察を妨害しようとしたことがあるのは間違いない。その点でフセイン個人の転落は、自業自得と言えないこともない。

 さて、こういったことを考え合わせると、ブレア首相が誤った情報を信じたとはなかなか首肯できることではない。それよりもむしろ、アメリカに追従した方が戦争以後の自国のありかたにとって有利であるという計算と、”どうせフセインのことだから叩けば埃は出るだろう”という考えがあったのではなかろうか。いずれにしても、大量破壊兵器を隠していると主張したことをただの誤りだったと言うのはおかしい。

 一方の、フセインがいなくなって世界が平和になったという主張はどうだろう。フセインは結局大量破壊兵器を持っていなかった。査察を行っていれば、将来に渡ってもフセインの驚異は防ぐことができたと推察できる。勿論、査察を止めたら元の木阿弥であっただろうことも想像に難くないのではあるが。いずれにしても、フセインを打倒したから直ちに世界が平和になったとは言い難いように思えてならない。

 ただし、現時点だけの話ではなく、長期的な展望に立てば将来的にイラク国民にとってはフセイン政権が打倒されたことは良いことであった可能性は存在ある。短期的に事態を収めるためには、アメリカはもっと遥かに人員を動員しなければならなかったが、兵力の出し惜しみによって現時点ではフセイン政権終焉が必ずしもメリットの大きい方策ではなかった可能性も少なくないであろう。

 そんなことよりも、現在アフリカのスーダンで起こっているような問題に対処した方が、遥かにそこの人々のためになるであろうし、異論に対処しやすいはずだ。そうではなく、イラクを攻撃したのはフセインの横暴が問題ではなく、裏の事情があった可能性を示唆しているように思う。例えば、国内の注目を集めやすい、というそれだけのレベルかもしれないが。

 なんにしても、もう転倒させてしまったフセイン政権を再度復活させるなどというのは論外である。どこで誤ったにしても、イラクの混乱を収束させることこそ参戦した国々がやらなければならないことになってしまったように思う。ただし、戦争前からイラク国民の解放が戦争目的では無かったことと同様、イラク復興もイラク国民のためではない。なので、このまま放置される可能性が高いように思われる。

 大量破壊兵器がみつかりませんというパロディも産んだ大量破壊兵器問題は、結局アメリカの勇み足で終わり、そして誰も責任を取らないまま時は流れていくのであろう。
2004.9.30

このまま行くと・・・


 今日のヤフーニュースにはこんな記事が載っていた。2156年に男子抜く=五輪の女子陸上100メートル−英研究者らが予想。俄かには信じられない予想である。記事をよく読んでみると・・・

研究チームは1900年以降の五輪100メートル競走の男女優勝記録を分析。その結果、男女の記録差は一貫して縮小しており、この傾向が今後も続いた場合、早ければ2064年、遅くとも2788年の五輪で女子が男子を追い抜くと結論付けた。最も可能性が高いのが2156年となった。

 ということで、今の傾向が続くといずれは女性が男性よりも早く走るようになるそうである。その頃、陸上はどうなっているのであろうか。トレーニングが科学的になったり、各種の素材開発などで、記録はまだまだ伸びるはずだ。よし、これまでの傾向からちょっと予想をして見よう。

 取り上げるのはマラソンである。私はマラソンには全然興味がないのであるが、興味がない故に公平な判断ができるかもしれない。アメリカで陪審員を選ぶのに、事件のことを知らなかった人々から選ぶのと同じように、それで公平が担保できる可能性は、ないわけではない。アメリカの陪審員は決して公平な判断をしているわけではないというのはこの際無視である。

 さて、マラソンの記録となると当然興味のない私には分からないので、他所からデータを頂くことにする。マラソン博物館内の歴代男子マラソン記録の、123番目の記録をみると、オーストラリアのクレイトン氏が1969年5月30年にアントワープで記録したのが2:08:34という記録で、当時としては最高記録である。これが現時点での最高記録となると、2003年9月28日に、ケニアのテルガト氏がベルリンで記録した2:04:54である。差し引き、ざっくり35年で3分40秒記録が伸びたことになる。

 このまま行くと、一体マラソンはどうなってしまうのであろうか。700年の後の、その日に思いを馳せてみよう――。なんと、今よりも記録が4400秒も短くなるのだ。その頃の記録は50分50秒くらいである。マラソンが長いから苦手と言う人も安心して見ていられるであろう。これが1050年後であれば記録が更に2200秒も縮むのである。記録は、なんとわずか14分54秒だ。時速で言うと170km弱である

 非情なことに、歴史はまだまだ続く。更にその140年後、つまり西暦3200年ごろには、フルマラソンにかかる時間はわずか14秒になる。じそく10850きろめーとるである。彼らは恐るべきことに4時間弱で地球を一周してしまうのだ。新幹線の50倍ほど早いが、これも厳密な計算の結果であるから間違いあるまい。

 なに?等差ではなく等比でやれ?こんな極端な結果が出るのがちょっと先になるだけで、結果は変わらない。等比でやってもマラソン選手はやがて0.1秒程度で月まで往復できるようになるはずだ。この辺りになると光より速いので相対論的に無理になるのだが。

 もちろん、なんでこんな悲惨な結果になってしまうのかと言えば今の推移が今後も続くという馬鹿な仮定が前提にあるからである。そうやって見てみると、引用した記事がどれだけダメなことを言っているか、良く分かっていただけると思う。

 英国の研究者が悲惨な過ちを犯したのは、だがしかし馬鹿な仮定にあった訳ではないと思う。彼らの過ちは、いつか女性が男性を追い抜くであろうという根拠のない思い込みに過ぎないだろう。そうでなければ、なぜ男女の記録が縮まっているのかと言うことに対してもっとマトモな考察ができたであろうと思われるためである。

 結論から言ってしまえば、男女の記録がだんだん縮まっているのは、女性もプロとして認められる様になったためである。言わずもがなのことであるが、スポーツのプロを養えること、プロのスポーツプレーヤーとして女性も正当な地位を認められること、という2点は社会の成熟度の一つの視点になると思う。その点で、嘗ては男性にしか与えられなかったプロスポーツ選手に女性も認められるようになったことはめでたいことで、その結果として今になって女性の記録が随分と伸びているのは素晴らしいことだと思う。しかし、男性と女性では体の作りが違う。身長や筋肉の付き方で有利不利の分かれるスポーツの分野で、両者が対等に渡りあうのはなかなか難しい。競技によっては女性が有利になるものもあるかもしれないが、100m走などはそうではないだろう。

 数少ないデータから結論を導き出すのは危険であるし、社会的な要因を無視したデータいじりは無意味である。そんなことを感じさせてくれる記事であった。新聞に載ったからといって信じてはいけないという、良い例であろう。
2004.10.3

神を持ち出す人々


 私には信仰心が全く欠落しているので、神を前提にしてものを考える必要がない。これはとても楽な立場を私に与えてくれているように思う。しかし、多くの人々はそうではない。信仰について書いておくことにする。

 きっかけは、本屋でトンデモ本を見かけたことである。お約束なのではあるが、恐竜と人間は共存していた時期がある、ということを”立証”しようとする本である。この手の本はお約束の構図をしていて、古代のものとされる壁画などの遺物から恐竜と人間が同時に描かれた絵を持ち出して古代の人々が太古の昔に絶滅したという恐竜を知っていたわけがない。であるからには恐竜は近年まで生きていたのだと語ることに始まる。続いて年代測定の方法にケチをつけて、恐竜が太古に絶滅したわけではない、と主張する。

 では、恐竜は何故ゆえに絶滅したのか。その答えとして容易されているのは聖書に描かれた大洪水である。ノアの箱舟で知られる、あの事件だ。

 驚くには値しない。そもそも、この類の本が書かれる理由は、経典が正しいと主張することにあり、真実を解き明かそうとしているものではないからである。私のような人間には、聖書が文字通り正しいと主張するいかなるモチベーションも存在しないのでその気分が良く分からないのではあるが、世の中は広い。そういう人々は、とても沢山いるのである。

 彼らにとって恐竜がなぜ大洪水の時代まで生きていなければならないのか。それは、神が地球を創ったときに総ての生物を生み出したという聖書の物語を信じるからである。今ではそこまで聖書を信じているのは主にプロテスタント系のファンダメンタリストと呼ばれる人々で、彼らは地球の歴史はわずか数千年であると信じ、その主張を”創造科学”という形にまとめている。

 しかし、説に合わせて現実を捻じ曲げることは決してまっとうは手法ではない。恐竜が絶滅した年代の測定には、例えば数種類の元素の崩壊を用いる方法がある。恐竜ほど古くはないが、すでに絶滅している生物については、近隣の種のDNAの変化から年代を測定する方法がある。その結果は、実に驚くほど一致している。これらのデータを最も自然に解釈するのであれば、地球は随分長い歴史を持っていて、その中で生物が新化したり滅亡したりしてきた、ということになる。

 信じることが何かを生み出すことというのは存在するのは私にも分かるつもりである。しかし、信じることで失うものも、確かに存在する。パスカルの賭けは神を信じないことの不利益が無限大であることを主張して神を信じるという迷妄に走っているが、しかしそれは過ちである。一生誤ったことを信じ、それに人生を捧げて死語の世界が無かったらどうなるのか。そもそも聖書によれば、終末の日に救われるのは14,000人の童貞だけである。それを信じて童貞で神を信じるのが正しいことなのか、考えてみても無駄ではあるまい。

 神が実際に存在するかどうかは、誰にも分からない。死後の世界もまた同様である。そんな誰にも分からないことにおびえて窮屈な生活を続けるのであれば、分からないものは分からないと腹を括って、死んだ後に総てを任せるのが良いと思う。

 それでもどうしても神を信じる、と言うのであれば、”神の言葉を聞いたと言う人間の言葉”を信じず、独自に神を探求するのがまだマシであろう。
2004.10.4

イラクに関する最近の報道


 戦争前、イラクが核開発に利用するために購入したとされる数千本のアルミ缶は、通常の砲弾用であったことが明白になった。これは開戦前から指摘されていたことであるが、この情報がきちんと政権内部まで届いていたことを認めた。この報道によると、”エネルギー省の核専門家らは(1)遠心分離機用にはサイズが合わない(2)イラクは公然と値引き交渉をしており、秘密の核計画にそぐわない”と指摘していたが、その指摘を無視するように開戦に突き進んだようだ。

 ただし、これが直ちに大統領選挙に影響を与えるわけではないだろう。戦時下の国家では国民は団結しやすいもので、戦争に反対する勢力は一般的には不利である。ケリーを有利にさせているのはイラクの統治が上手くいっていないことではない。勿論、ポーランドがイラクから撤退しようとしていることに示されるような、アメリカの孤立は多少の援護になるのは間違いないであろう。ケリーもブッシュもイラクからの早期撤退を考えているわけではなく多少の路線の違いしか無いため、大統領選がイラクに及ぼす影響は少ないと思われる。

 それにしても、アメリカ大統領選挙についてのイラク各紙の反応の記事は、どの立場のことも書こうとする余りイラクの実情が全く伝わってこない。どこの国でも都市部は革新的で田舎ほど保守的であることを考え合わせると、田舎ではイスラームの掟に厳格である傾向が強いため異教を奉じるアメリカの支配を快く思っていないであろうし、都市部の厳格な宗教を守ることに意義を見出さない人々はフセイン政権を打倒したことに対する好意と治安政策で失敗していることに対する悪評で二分されているだろう。また、クルド人のようにフセインに迫害されていた人々はアメリカを支持するだろうし、この戦争によって支配者の地位からは転落したものの、未だ人口占有率よりも多くの権限を握ることのできるスンニ派は二分されるだろう。このように、それぞれの立場が入り乱れていることは容易に推測のできることで、この程度のことであればなにも記事にするまでのことはない。余程ネタに困ったのだろうか。

 読み取れるのは、アメリカ国内で再び戦争の正当論争が巻き起こっているがそれが大統領選挙には影響を与えていないこと、国際的にはアメリカの孤立は深まりつつあること、さらにイラクでは立場の違いを巡って反米から親米まで様々な層に分断されていること、であろうか。

 イラク戦争の尻馬に乗った日本は、これからどうすべきなのか。ポーランドやフィリピンを見習って今から撤退すべきなのかというと、今後のアメリカの関係からそれは望ましく無いと思う。どうせ反対するのであれば開戦前にフランス、ドイツと共にするべきであった。今、日本に被害が無い状態で撤退すれば、美味い汁を吸おうとして失敗したと目されてろくなことにならない。アメリカに追従した以上、利益でも不利益でも蒙るのは当然のことだろう。関係各位には、極力犠牲の少ない(できればゼロ)ようにイラクでの体勢を整えつつ、落としどころを探ってもらいたい。まさか、永久に駐留するわけでもあるまい。”落ち着いたタイミング"で上手く兵を引ければ、それに越したことは無かろう。

 それが一番難しいのは重々承知の上であるが。




   


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