2004.10.8
テロとの戦争に見る嘘と真っ赤な嘘と、そして統計


 嘘には3種類あると言われる。嘘と、真っ赤な嘘と、統計である。

 今月の日経サイエンスに大変おもしろい記事が載っていた。ご都合主義はごめんだと題したこの論文では、テロとの戦争についてアーミテージ国務副長官が述べたことが批判されている。

 去る4月1日、米国政府は国際テロ活動に関する年次報告書『Patterns of Global Terrorism』を発表した。この報告書は、喜ばしいことにテロが減少したと述べていた。2003年のテロによる負傷者数は前年の2013人から1593人に減少した。(略)アーミテージ(Richard Armitage)国務副長官は「ここには私達がテロとの戦いに勝利を収めつつあることの明白な証拠が見て取れる」と話した。
 ところが6月になって国務省は統計の誤りを訂正し、負傷者は3646人だったことを明らかにした。数学の専門家によれば、この数字は2013よりも大きい。訂正後の報告書では、死者もテロの発生件数も初版よりも多くなっていた。
 ここで1つの疑問が持ち上がる。国務副長官が訂正前の報告書に基づいて「勝利を収めつつある」と発表したからには、報告書が訂正されたときには「敗北を喫しつつある」と発表し直したのだろうか?
 (以下略。日経サイエンス2004年11月号p112より引用。おもしろい記事なので興味のある方は立ち読みでもしてください)

 この記事の結論は結論で興味深いのではあるが、本筋には関係ないので引用しない。問題とすべきなのは、なぜ二ヶ月の間に斯くも大きな訂正がなされたのか、ということである。そして、引用元の記事には、先の発言を訂正する発言はなされていないということである。

 こうなると、疑念が沸いてくる。アーミテージは、あえて犠牲者が過少であるかのごとき発表をしてみせたのではないか、ということである。そのような行為を行う動機は一つ。ブッシュ大統領に主導されているテロとの戦争が、成功に向かっているということを、嘘でも強弁でも良いから示しておきたいということではなかろうか。

 私も先日書いた通り、イラク開戦の錦の御旗とした大量破壊兵器はイラクに存在しなかったことはすでに明白になっている。しかし、恐るべきことにアメリカ人のかなりの人々がフセインは9.11のテロに関与したと思っているようである。

The Post poll, conducted Aug. 7-11, found that 62 percent of Democrats, 80 percent of Republicans and 67 percent of independents suspected a link between Hussein and 9/11.
(8月7日から11日にかけて行われた調査によると民主党員の62%、共和党員の80%、無所属の67%の人々はフセインと9.11の間になんらかのつながりがあると疑っている。(領主訳))

 従って、多くの人々にとってはフセインを打倒することはたとえ大量破壊兵器の問題が無かったとしてもテロの防止になるのだから問題ないということになり、ブッシュ大統領の行動は支持されてしかるべきものとなってしまう。実際にはフセインと9.11のテロを起こしたとされるアルカイダの間に関係は無かったと、CIAは報告しているのだが。

 こう考えてみると、イラク戦争に大義は無くともテロ戦争に効果があればOKという思想がでてくるのに、さして不思議はない。そうでなければ、わずか2ヶ月の間にテロの被害者が倍増するのは納得のできることではない。

 統計と言うものは、そのデータの出し方によって幾らでも誤った結論を引き出させることが可能である。(勿論、正しい使い方をすれば大変役に立つことは論を待たない)

 しかしながら、今回行われているのは遥かに悪質な事例である。そもそも、統計のもととなるデータが出鱈目なのだから。このような悪質な嘘は許されるべきではないが、単純な人々はきっとデータ訂正前の暢気な発言を鵜呑みにして世界は平和になっているからイラク戦争は成功だったと思ってしまうのであろう。 2004.10.13

インチキ商売


 私は幾つかのメールマガジンをとっている。メールマガジンサービスとして、まぐまぐというところがあり、ここは利用者向けに無料のメールマガジン紹介メールを送ってくれている。有名どころなので知っている人も沢山おられるだろう。このサービスメール、性格から広告が挿入されている。英会話がどうしたとかいろいろあるのだが、先日来たのはこんなのだった。

─[PR]─────────────────────────────────
━━   ┃┃  ┏━┓   【起爆水】遠赤外線を含む電磁波エネルギ
━━┓━━ ━┳━┃ ┃    ーを独自のノウハウで水に充填、自動車
  ┃━━┃ ┃ ┛━┫━━  の冷却水に 100cc投入するだけ。排気ガ
  ┃  ┃ ┃   ┃    スを浄化し、燃焼効率をUP!
 ━┛━━┛━┻━  ┛ http://www.adplan.ne.jp/r?bid=138674
─────────────────────────────────[PR]─

 当然のことだが、これを読んでのけぞった。遠赤外線を含む電磁はエネルギーを水に充填?なに言っちゃってるの!?遠赤外線は暖かい。これはなぜかというと、分子を振動させる波長だから、である。分子の振動は摩擦熱となり、結局のところ熱エネルギーとして捨てられていく。だから、遠赤外線を含んだ電磁波を充填するというアイディアはまず間違い無く嘘である。嘘であるのに、なぜこんなことを書くかと言えば、科学が苦手な大衆に、なにやらよく分からないが凄そうだという印象を与えるだけの、詐欺商法ではないかと思われる。

 そんなわけで、上記のアドレスを訪問することに。なにやら、あやしい雰囲気がぷんぷんである。100mlで\8,190か。本当に効果があるなら、高くはなさそうである。そんなわけで起爆水の特徴を見てみると。。。

 えーと、電磁波はどこに行ったのですか?遠赤外線も赤外線も可視光も紫外もX線も全く出てきません。一体あの宣伝文句はなんだったのか。そのかわり、ここでは電気エネルギーで説明しているようで、そこをチェックしてみる。

起爆水中に含まれるプラスイオン伝導体物質が、冷却水とともに燃焼室の廻りを循環することにより、冷却水中のプラスイオン伝導体の作用で、シリンダーブロックの冷却水側は陽極(+)となり、一方燃焼室に吸入されるガソリンと空気の混合気体中の酸素(O2)はマイナスイオンであるため、シリンダー内は陰極(−)となります。
その結果、冷却水側(+)より燃焼室内(−)へと電流が生じ、この電気的エネルギーはシリンダー内の混合ガスに高速分子運動を起こし、燃焼室内の隅々までの混合気のクラスターを瞬時に細分化します。
細分化されたシリンダー内の混合ガスは燃えやすくなり、燃焼効率が高まります。
(下線および強調は引用者)

 ええと、プラスイオンがぐるぐる回っても分極はしないと思うぞ。高分子のマイナスイオンを半透膜で分けるなら兎も角。そしてなにより、酸素分子(O2)は中性だ〜〜〜〜!!!!!。さらに、電気エネルギーが流れるというのをなっとくしたとして、それで混合気のクラスターを瞬時に細分化というのがどうつながるのだ?もしも万が一、仮に酸素がマイナスの電荷を帯びていたのだとしよう。O2-の状態か。これが一番手っ取り早く反応するにはどうなるかというと、

2O2- → O2 + 4e-

この電子(e-)がプラス電極側に移動するとどうなるかというと、

4e- + 4H+ → 2H2

となる。なんてことはない、水の電気分解である。(もしかしたら金属が析出するかもしれないが、ここではうるさいことは仮定しない)

 電気化学反応が起こる以上、この起爆水の交換は頻繁に行わなければならないはずであるが、FAQを覗くと――――。

Q.起爆水の効果はどのくらい持続しますか?
A.起爆水の効果は冷却水を入れ替えるまで持続します。

 適当だ。。。

 さらに百歩譲って、仮に電流が流れたとしても、燃焼室の中にあるのは気体化された燃料と空気だけなので、電流は流れないのだ。せいぜい、燃焼室の壁面で何らかの電気化学的な反応が起こるだけである。従って、当然のことながら「電気的エネルギーはシリンダー内の混合ガスに高速分子運動を起こ」すことはない。従って、これらのことを考えるとこの商品が詐欺であることは明らかであると思われる。

 これを読むと、書いた人が不誠実で科学に疎いことが実によく分かってしまう。騙そうとするならせめて勉強位しなくちゃ。ああ、そういえばフランスの構造主義哲学者達もおなじようなことやってたな。

 なんにしても、科学用語を適当にちりばめることで説得力を持たせるような卑劣な行為は糾弾されるべきものである。リンク先のサイトの正しい読み方は、こんなでたらめなこと言っちゃってるよと突っ込みを入れた後で、あまりの商品の高さに驚くことであろう。構造主義哲学もインチキ商品も、近寄ってはいけないという好例である。 2004.12.6

大げさすぎるってば


 アメリカの不参加によって発効が怪しまれていた京都議定書がロシアの加盟によって蘇ったことは記憶に新しい。環境問題は実際に我々自身の生活に大きな影響を与えうるものであるから、注意してしすぎることは無い。そういう意味で、東京新聞のよみがえった『京都議定書』に魂を吹き込めという記事は、おっしゃる通りである。

 しかし、だ。

 このような国際情勢によって、「京都議定書」は発効できずに時間だけが過ぎた。地球の四十六億年の歴史上、最も破滅的な危機にさらされることが懸念されている最中に、「京都議定書」が発効となる意義は極めて大きい。

 というのは幾らなんでも言いすぎである。過去紹介したスノーボール・アースによれば地球は過去、そのほぼ全てが凍結したことがあると予想されている。その後も三葉虫の絶滅や恐竜の絶滅などの生物大絶滅があった。それに匹敵するような大異変が喫緊の問題として存在しているわけではない。気候の変化は、人間の観点から見れば長期に渡って変化する。ただ、地質学的にはとても短い期間で変化する。この短期と長期の主体的な問題を取り違えてはいけない。

 かつて日本は公害列島と呼ばれるほど、水俣病やイタイイタイ病、新潟水俣病、四日市ぜんそくと いった「四大公害」で代表される公害問題に悩まされてきた。例えば、水俣病や四日市ぜんそくに苦 しむ人々は四十年を過ぎたいまも顕在しており、私たちに「人間とは何か」「近代とは何か」「自然 は誰のものか」など、人間と自然とのあり方について重い問いを投げかけている。いったん破壊され た自然を元に戻すために、気の遠くなるような長期間にわたって莫大(ばくだい)な資金と先進技術 を投入したとしても、完全な復元は不可能であること、かけがえのない生命は戻らないことなどを、 私たちは過去の教訓から学ばなければならない。

 というのも、かなり強引だ。確かに、4大公害は厳然として存在して、そこにそれぞれ問題があった。しかし、日本でなぜそれが問題になったかと言うと先進国でそれに注目できるだけの余裕があったからである。例えばインドでは井戸水の砒素汚染がとても深刻で、それはイタイイタイ病とは規模の面では比較にならないほど大きい。”完全な復元は不可能”というのも言った者勝ちの世界で、どこまで旧に復しても「それはまだ完全ではない」という言い逃れが可能な手段であってとても首肯できるものでは無い。ついでに、顕在じゃなくて健在、だと思うぞ。

 ただし、過去には学ばなければならない。

 こうした議題に対し、世界第四位の大排出国である日本が国内でどう減らすか、途上国をどう支援 するかの積極的な方針を示すことも必要である。温暖化防止に向けて、私たちは、一見小さく思える 身近な取り組みが、地球温暖化防止への大きな取り組みとなることを忘れてはならない。

 最後のこの言葉にも賛成である。しかし、過度に大げさに言うべきではない。大げさな主張は、やがて非論理的な言説につながって行き、やがては無駄な議論に終わってしまう。特に自分が主張したいことに沿った大げさなことは、言わないのが一番である。その一事で信用を失ってしまうことも十分ありうる話なのだから。


2004.12.29

(多分)今年最後の更新


 時が経つのは早いもので、もう2004年が終わろうとしている。記録を見ると1月3日にサイトを開設したようなので、ほぼ1年が過ぎたことになる。1年間でサイトに来てくださった方がのべ5000人というのは多いのか少ないのか、といえば、このサイトのようなジャンルでは多い方だと思う。雑文に付き合ってくださった読者の方々に篤くお礼を申し上げたい。

 前にも書いたけど、個性と言うのは限られた人しか持たない、一種の才能であって、殆どの人には見るべき個性なんてない。勿論私も無個性な人間の1人に過ぎないわけだからそうそう面白いことを見聞きしたり、知ったりしているわけも無く、ましてや書けるわけでもない。

 だから、ちょっと普通のサイトでは紹介されないような本や音楽を中心に紹介してきた。小説を紹介している方々は沢山居るけど、ノンフィクションや科学書を中心に書く素人(職業上の意味でも、書評士としても)は珍しいから。今年読んだ本の一部しかUPできなかったけど、それは私の怠慢が一番の理由である。来年はもっとマニアックで、なおかつ読んだら面白い、という本を紹介していこうとおもう。

 個性は才能だから、来年もまた冴えない雑文を書いていく積りです。もしよろしければ、来年もまた遊びに来てください。


2004.12.31

因果関係と時系列的な前後


 多分最後の更新とか何とか、つい先日書いたような気もするがまた更新してしまうのだ。これが本当に今年最後の更新になるはず。

 奈良で起こった幼女誘拐殺人事件は犯人の逮捕によって解決を見た。忌むべき犯行が、少なくとも犯人逮捕という形で決着を見たことはめでたいことである。遺族の方々の苦しみはまだまだ続くだろう。適切なケアをしていく体制を敷いていかねばなるまい。さて、有罪が確定するまでは無罪と推定するという原理はあるが、犯人宅から被害女児のランドセルや携帯電話が発見されたことから彼が犯人であることは確実であろう。今回の事件を特異なものにしているのは、殺害した女児の写真を遺族のもとに送付するなどの異常な行動であるだろう。

 しかしながら、それは「携帯が普及したから」起こった事件なのか、と問われたらそれは違うと思う。毎日新聞にはこんな記事が載っていたので、ちょっと紹介する。「携帯」残虐さ増幅 逮捕の決め手にも

 作家の高村薫さんは「ポルノの雑誌、ビデオが簡単に手に入るようになり、社会に対する距離感、うっぷんを晴らすツールが身近になった時代。変質者でなくとも、特殊な刺激にさらされる機会が飛躍的に増え、今も加速している。そういう中で出てきた人で、強い時代性を感じる」と指摘。「写真付き携帯電話は操作も簡単、値段も安い。この新しいツールは、犯罪を表現するハードルを低くしている。容疑者はたとえ携帯メールがなくても事件を起こしただろうが、携帯で写真が送れなければ、表現する方法は限られていた。犯罪の表現方法が簡単になることで、誰でも犯罪者になりうる危うさを感じる」と話した。

 これがどれだけ馬鹿馬鹿しいことなのか、指摘されなければ分からないのだろうか?高村薫さんの『レディ・ジョーカー』で見られる緻密な観察力と論理展開には舌を巻いたものだから、この落差には愕然とさせられた。

 まず、上記の文章は論理がつながっていない。これは高村さんが悪いのか編集が悪いのか、私には分からない。しかし、これは間違いなく私を幻滅させた。

 まず、彼女は「容疑者はたとえ携帯メールがなくても事件を起こしただろう(・・・A)」と推測を述べている(そしてこの推測には私も同意する)。続いて、「携帯で写真が送れなければ、表現する方法は限られていた(・・・B)」と、事件そのものの有無ではなく、犯人が表現した手段を取り上げる。そして、「表現方法が簡単になることで、誰でも犯罪者になりうる(・・・C)」と結論を持ってきている。

 しかし、どうであろうか。AとCを成り立たせるにはかなりの無理がある。何故か?Aでは犯人固有の性質を言っておいて犯罪が起こったと述べ、Cでは社会全体が高リスクになっていると述べている。この差は大きいと言わざるを得ない。そうであるのに、彼女が依拠している、携帯電話を使って犯行を誇示する異常な事件は、この事件しかない。一つの事件から社会全体を俯瞰することはほぼ不可能であろう。

 また、手段が問題なのか、という洞察をしたのだろうか?高村さんの言葉を見て行くと、「ポルノの雑誌、ビデオが簡単に手に入るように」なったことがまずリスクを高めているという主張につながっているが、ポルノ雑誌が簡単に手に入るようになってから、もう随分経つような気がする。日活ロマンポルノ(敢えてリンクは貼りません^^;)は1971年に始まっているし、ビデオやDVD、インターネットが広まったのもポルノの影響が大きいと言われる。ではネットが今のように広まったのはいつかというと、判断基準は人によってことなるだろうが5年ほど前だろうからだろうが、それによって猟奇殺人が増えた証拠はない。

 結論そのものにも疑問を感じざるを得ない。「表現方法が簡単になることで、誰でも犯罪者になりうる」というが、実際には犯罪者の一部が自分の犯罪を誇示するというだけの話であって、表現方法を得られたから犯罪を犯した訳ではない。「表現方法を得られたから犯罪を犯した」と主張する犯罪者が、現実に多数発生しなければとてもこのようなことは言えないはずなのだ。

 このお粗末さは、やはり識者にコメントを依頼するという悪弊に起因するだろう。犯人確保の報が入ると、すぐに”識者”にはコメント依頼が行くであろうから、肝心の識者が事件についての詳細を知る時間は無いのに、(悪いことに)締め切りだけはあるのだから、いきおい”踏み込みすぎた”発言をしてしまう。いい加減、識者のコメントなど載せないことにしたらどうか。識者のコメントは事実を踏まえているわけでも無いし、それを読んだから何かを知ることができるわけでもない。高村さんに続くコメントはもっと凄いことになってしまっている。

 また、野田正彰・関西学院大教授(精神病理学)は「携帯電話という道具立てが特徴的だった」とし「社会的に引きこもり、深い人間関係が持てない人格と携帯電話は親和性がある。容疑者は携帯中毒状態で、使わざるを得ない心理が、遺族をいたぶることになってしまった」と分析した。

 どうだろうか。「社会的に引きこもり、深い人間関係が持てない人格と携帯電話は親和性がある」という決め付けである。そこの、この雑分読んでいるあなた。携帯電話持ってます?社会的な引きこもりですか?

 私自身携帯電話を所持していて、稀に電話をかけたりメールを送ったりする(が、多いのは大変残念なことに会社のヒトからの仕事電話ばかりである。しくしく)。便利な道具であり、当面手放すということは考えていない。そう思っている人は沢山居るだろう。特定の人格あるいは行動パターンと携帯電話を結びつけるのには無理がある。まあ、私は引きこもりだけれども。

 野田さんの言葉に至ると、これはもう携帯電話に対しての強い忌避をしゃべっているとしか思えない。昼下がり、郊外の、ちょっとバカそうな高校生がたむろしそうな電車の本数の少ない駅の前に行って見ると良い。携帯電話をいじりながら大声で仲良く話をしているちょっとバカそうなヤツらが沢山いるのを目にすることができるだろう。それこそ、野田さんの言いたいこと(携帯=引きこもり)とは正反対の生命体が沢山いるのだ。”象牙の塔”に籠るのばかりが研究じゃないよ。

 こうして眺めてみると、”携帯電話を使った”というところにばかり無意味な意識の集中が見られる。これこそユングのいう所の集合的無意識だなどと書くとこのサイトもオカルトサイトの仲間入りができるだろうが、この意識の集中はそのようなオカルトで説明するのではなく、むしろ携帯という新しいコミュニケーションツールに着いていけない人々があたかも異常なモノを見るような目で眺めていることが原因だと思われる。編集と識者のゆるやかに共通しているそのような意識がこうしたどうしようもない記事につながっているのだろう。この辺りは推測なのでなんとも言えないが。

 「容疑者は携帯中毒状態で、使わざるを得ない心理が、遺族をいたぶることになってしまった」というが、これなどは妄言のレベルだろう。床屋政談じゃないんだから。「遺族をいたぶ」ったのは、犯人のサディスティックな性格を露にしているだけだ。また、容疑者と呼称しているが、メールを送ったのは犯人以外の誰でもなく、今はただ単に逮捕された小林薫が容疑者となっているだけの話だ。殺人について容疑者扱いをするのであれば、”メールを送ったこと”についても容疑者扱いをしなければならないのに、小林薫を犯人と想定した書き方をしている。これも統一性から見るとおかしな話だ。

 野田教授は精神病理学を専門にしているようだが、診察もしていない人間の病理を精神医として語ることには問題がある、とは思わないのだろうか。社会全般に関することならともかく、彼はプロとしてこのようなことはやってはいけないはずだ。(仮に診断していたのであれば、患者の個人情報を開示するのは法により禁止されている)

 野田教授は、女児を対象にした犯罪自体は昔から変わらずある、とした上で「ビデオショップやネットなど、身近に強烈な情報がある。異常なほどの刺激の質と量をもっと社会は認識すべきだ」と訴え、「厳罰ではなく、性衝動をどうコントロールし、表現していくか、治療的なプログラムを実施しない限り、類似の事件はなくならない」と強調した。

 と言っているが、それは、疑わしいと思われる奴は全員何らかの手段で国家によって性衝動をコントロールしろということなのか。そこに問題は感じないのだろうか。厳罰は、法律に違反したことに対して与えられるものであるはずだ。ポルノであろうとゲームであろうと合法な範囲での接触にまで管理を行うべきではない。

 むしろ、このような犯罪は自然に発生するものであり、社会全体がそれとどう向かい合うか、ということこそが必要なはずだ。犯罪の根底には欲求がある。それは例えば金銭欲であったり、名誉欲であったり、自己顕示欲だったり、性欲だったりする。欲求を国家によってコントロールされる社会と言うのはそれこそレーニンやスターリンのソヴィエト、毛沢東の中国、クメール・ルージュ(ポル・ポト)のカンボジアを目指すということであろう。それをユートピアと呼ぶようなバカな真似はするべきではなかろう。

 いずれにしても、識者のこのような出鱈目を、”識者だから”とか”編集の意向に合うから”という理由で大きく取り上げることは慎むのが望ましいだろう。彼ら、彼女らの妄言は所詮誰にも相手にされず、ただ消費されて消えていくだけだという冷厳な現実を見る限りにおいては喫緊の問題ではないかもしれないが。

 妄言相手にこれだけ書いている私が一番時間を無駄にしているって?その通りです。。。しくしく




   


検索エンジンなどから直接辿り着かれた方はこちらからお戻りください
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送