UP | データ | 評価 | |||||||
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30 | 2004.12.12 |
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少子化が叫ばれている。その対策として男女共同参画が推進されているが、果たしてそれは正しいのだろうか。その手始めとして、女性が社会に出たら少子化が進む傾向があることを統計的に導き出し、では女性は社会に出るべきでは無いのか、と問いかける。更に、「男女共同社会が少子化を防ぐ」と唱える人々が、女性の社会進出度と出生率のデータから自分達に都合の良いデータだけ切り出して自説を正しいものに見せようとしていることに対して強く非難している。
では著者は女性は社会に出るべきでは無いと考えているのかと言えば、そうではない。都市化が進むと否応無く少子化が進むことは明らかであるのに、男女共同社会を目指せば少子化は解消されると言うトンデモな論を否定しているだけである。もし仮に、男女共同社会と少子化解消が平行して進むのであれば、保守的な女性抑圧論者以外の誰も文句は言わないだろう。しかし、仮にこの二つが矛盾するのであればどうするべきであろうか。少子化を防ぐために女性を社会に出さないべきか、女性の権利を拡大するために少子化を諦めるべきか。
その前提となるのに、少子化になったら何が困るのかを問わねばならない。著者は様々な意見を紹介しつつ、それが最後には年金問題に行きつかざるを得ないことが示される。年金問題は、結局のところ子どもが増え続けるものだとの想定に立っていたからもはや破綻は明らかである。老人のために女性の社会進出は否定されるべきなのか、どうか。
そこで著者が唱えるのは、少子化は防ぎようが無いのだから、少子化が行きつくところまで行ってしまった時点をモデルとして社会を組み立てるべきというモデルである。これ以外に筋の通った答えはない、と私も思う私も、女性が女性であると言うだけの理由で職業上不利に扱われるべきではないと思うのだ。ただし、男女には生まれついての差がどうしてもあるので、特定の分野で男女の比率が偏るのは仕方が無いだろう。それと、才能もやる気もあっても性別だけで排除される、というのは別問題なのだ。
著者は女性団体(所謂フェニミストやフェニミズム団体)から非難も浴びせられたりするようだが、感情的な非難だけでよしとするのではなく、議論は冷静に行わなければならない。少子化問題にちょっとでも興味があるのであれば、必読の一冊であるといえよう。
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