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UPデータ評価
61 2005.4.23
偶然の確率
高橋 早苗 / Aczel Amir D.
アーティストハウスパブリッシャーズ (2005.2)
\1,470
☆☆☆


 自分が教師になって、生徒が40名いるクラスの授業をしているところを想像して欲しい。生徒と、「このクラスの中に誕生日がおなじ人がいるかいないか」で賭けをすることにする。どちらに賭けたら負けない確率が高いか。直感を信じると、1年には365日あってクラスには40人しかいないのだから、いないほうに賭けたほうが得のような気がする。しかし、その場合には勝てる可能性はたった11%しかない。なにか騙されているような気がする。

 あるいはバス停。10分に1回の割合でバスが来るなら、普通に考えると待つ時間の平均は5分くらいになるはずなのだ。ところが15分待たされちゃったりする。こんなのは日常で良く経験することである。ここにも騙されている感じが付きまとう。

 あるいはギャンブル。パチンコや競馬。必勝法などの雑誌やスパムがでまわるけど実際にそれで稼いでいるのはどうも記事を書いた当人だけみたいに思われる。これはもう確実に騙されている。主として胴元に。

 そして、これらのことは確率に左右されているのだ。いやいや、最初の例は分かるけど2番目の例はちょっと違うんじゃないのか、と思うかもしれない。しかし、そうではないのだ。それどころか確率論によれば恐るべきことまで確率で判断できることが示される。それはなんと、幸福な結婚をする方法である。私自身が幸せな結婚生活を送っているかと聞かれたら、ハイと答えないと怖い目に合いそうなのでハイと答えざるを得ないが、まだ結婚などという過ちを犯していない方にとってはこれは朗報である。もちろん、そんなものがあるとして、だが。

 なんにしても、世界はこんなにも確率に支配されているのである。そんな確率の世界を、面白い話題を選んで書いているのこそ本書なのだ。確率というものが、実はどれほど身近なものなのかが良く分かるようになっている。確率についての初歩的な講義が最初にあるが、そんな話が嫌ならそこをすっとばしてしまっても良い。勿論、話の性質上専門的なことは書かれていないので、そのようなことを求めてしまってはいけない。それよりも、確率的な考えというものがどれほど身近な現象に当て嵌まるのか、ということを楽しみながら読めると思う。
UPデータ評価
62 2005.4.28 ☆☆☆


 ”失敗学”で知られる著者が挑む、教科書的な考えじゃない数学的な考え方を伝える本。著者の主張する、人間は A(原因)→ D(結果)と考えているのにA → Dじゃ短絡的だからAだからB、BだからC。CということはDとなる、というような考え方は人間の直観に反しているというのはその通りであると思う。

 私が最も賛同したのは、”理解する”というのは”頭の中に既に入っているテンプレートにすんなり当て嵌まること”という主張である。頭が良いというのは世界を理解するためのテンプレートを多く持っていることだ、などと考えたことは無く、目から鱗が落ちた。

 高校の数学の教科書は大学の理系の先生が楽をするため、無理な教え方をしているという指摘は多少強引かな、と思わなくもないけど。

 読者が数学に毒されているところからまずは抜け出させ、その上で微分積分や三角関数、行列や確率とはどのようなものなのかを畑村視点から解くのは面白い。このような見方を高校時代に教えてもらっていたら、高校で数学を苦手になる生徒が少なくなるように思う。

 ただし、本書はあくまで畑村式観点から見た数学について語っているだけで、それが素直に納得行くものかどうかは定かではない。個人的には自分の考えと被っていたりして、目新しい話題ばかりではなかったことを申し添えておく。
UPデータ評価
63 2005.5.8 ☆☆☆☆


 大体において、大学まで行って昆虫やら動物の研究をしたいというヒトは大の昆虫好き、動物好きである。それが更に高じて職業にまでしてしまうほどの熱意は並大抵のことではない。そんな動物好きの人々が動物に関する話をしたら面白いのか、というとそうでもないことが往々にしてある。彼らの動物好きレベルは常人の想像を懸け離れたところまで達してしまっていて常人のレベルに合わせることができないのだ。専門家が面白いと思うポイントが一般人とズレている、とも言えるかもしれない。

 ところが、そんな枠組みには当て嵌まらないヒトもいる。自分の好きな世界を、その世界を知らないヒトに上手く伝達できる、そんな人々が。

 暖かくなったら発生するショウジョウバエ。名前の由来は?彼らの行動原理は?夏の風物詩でもあるセミの国ごとの違いとは?モンシロチョウはどうやって恋の相手を探すのか?ホタルはなぜ一斉に光るのか?鳥と昆虫の飛行原理の違い。眺めてみればみるほど考えたことも無ければ興味も沸かないような話題ばかりであるが、これが著者の手にかかると途端に”そうだったのか!”と思わされるエッセイに変身してしまうのだ。

 南方熊楠賞を受賞したほどの博識に、エッセイスト・クラブ賞を受賞したほどの語り口の上手さが組み合わされると途端に面白くなる様は見事で、ついつい一気に読んでしまう。自然界の面白さ、奥の深さを軽妙な語り口で伝えてくれる一冊。
UPデータ評価
64 2005.5.15
暗号化
斉藤 隆央 / Levy Steven
紀伊国屋書店 (2002.2)
\2,625
☆☆☆


 自国の国益のため、ということを理由に通信を傍受している国が存在する。その手の世界に興味がある人には広く知られている通り、アメリカではNSAという組織が大掛かりな通信傍受を進めており、その実態は『すべては傍受されている』などに詳しい。

 国益のため、というとなにやら逆らいがたい雰囲気を感じさせる。しかし、問題の本質は個人のプライバシーがどこまで保護されるべきなのか、国家に対して個人はどこまで独立できるのか、という観点から考えると、国家が無条件に国民の情報を覗き見ることができる体制と言うのは問題があることが分かる。これはどちらの立場に立つかによって問題となる部分が異なるため、スタンスによって大きな違いが生じるはずだ。

 本書はプライバシーは守られなければならないと考え、そしてプライバシーを守るための方法を考え出した数学者達と、数学者達の発明が実用化されることを食い止めようとするNSAとの争いを描く。現在の暗号の標準であるRSA暗号が生まれ、商業ベースに乗せまいとする諜報機関を中心とする国とどう争ってきたのか、そしてどうやって現在の姿になったのか。暗号を生み出した人々の素顔は?その情熱の根源は?

 暗号に興味を持っている人にとっては暗号製作者の素顔が見られて面白いかもしれない。しかしながら、暗号の原理についての踏み込みは一歩も二歩も足らず、総合的な面白さでは圧倒的にサイモン・シンの『暗号解読』が上回る。正直、暗号解読を読んでいれば読まなくても良いかな、と思わされる。規制しようとする国と個人の争いという側面を見たい人にはお勧め。
UPデータ評価
65 2005.7.3 ☆☆☆☆


 スペースシャトルの就航は1981年。宇宙へのアクセスを容易にする、夢の機体と騒がれたものである。だが、それから25年近くが過ぎたにも関わらず宇宙が近づいたようには感じられない。

 それどころか1986年にはチャレンジャーが、2003年にはコロンビアが墜落し、14名の命が失われ、事故のたびに打ち上げが中断されてきた。アメリカの宇宙開発はむしろ後退した、と言っても良いほど低迷しているのが現状である。

 なにが今日のこの事態を招いた原因なのだろうか。

 その答えとして、著者が導き出したのは「そもそも設計思想が誤っている」ということだ。”夢の機体”とされた機体はなぜ”欠陥品”なのか。本書ではスペースシャトルの構造、性能は勿論、アメリカの政治的、軍事的な思惑にまで立ち入って設計段階での過ちを指摘されている。背景となる理由の一つ一つは大したことがないかもしれない。しかし、結果としてスペースシャトルは多機能のつぎはぎとなってしまい、万能マシンであるがゆえどの機能をとっても専用機に負けることになってしまった、という指摘は重要だろう。

 今後の宇宙開発がどうあるべきなのかを考えるには最適と言える。なによりも、まずスペースシャトルに託した夢が潰えたことを認識し、その上で次にどのように進むべきなのか、を示してくれた本書に感謝したい。スペースシャトルでみる夢は潰えたかもしれないが、宇宙への夢はまだまだ続くのだから。

 なお、チャレンジャーの事故については事故調査に携わったファインマンさんの困ります、ファインマンさんが面白いのでお勧めである。




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