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UPデータ評価
116 2006.4.19
はばかりながら

浅利 佳一郎著

集英社 (2002.12)

☆☆☆☆☆


 基本的に、生理的な欲求に従うことは快感につながる。喉が渇いたときに水を飲むこと然り、お腹がすいたときにご飯を食べること然り、眠くてたまらないときに眠りに落ちること然りである。多くのヒトは口にはしないであろうが、くしゃみをしたときもまた然りではなかろうか。もちろん、セックスも快感が付きまとう。これらは脳の報酬系と呼ばれる部位を活性化させるので、なんともいえない幸福感が湧き上がるわけだ。

 だがしかし、上に挙げた項目は、釣り合いが取れていない。なんとなれば、食べることと飲むことは挙げられているというのに、それと対であるはずの出すことについては書かれていないからだ。そう。うんことおしっこのことである。あろうことか、この本は終始その二つのこと+トイレについて書かれているという、呆れた本なのだ。著者たちが、出すほうについてのあまりの冷遇っぷりに憤り作り上げたのが”出口問題研究会”なのである。

 そして、いざ問題提起されてみると排出は誰にとっても必要なものであるから、面白い話が次から次へと出てくるのだ。たとえば、軍の特殊部隊は作戦行動中に催したらどうしているのか。各国のトイレ事情はどうか。本邦初の近代的トイレはどこにあってどんなものか。うんこやしっこの語源はなにか。そんな疑問を抱き、抱いたら調べてしまう出問研の人々。そして出問研の面子は行動力もある。科学博物館へ”みんなのうんち展”に行ってコアラの糞を食べるメンバーが居る。故郷の秋田に行ってなぜ昔はシダ類でおしりを拭いたのかを調べる人も居る。あるいは日本トイレ協会や居心地の良いトイレ造りに情熱を燃やす設計事務所ゴンドラの女性設計士・小林純子さんの話を聞く、といった感じで東奔西走。好奇心はとどまることを知らない。(少なからぬ時間をすごさなければならないトイレを少しでも居心地良くするために、トイレからのメッセージのような提言は重要になるのではないか)

 はばかりがあることばかりに触れているわけだが、排出やトイレについて面白おかしくしかも役に立つように書いてあるのが良いし、薀蓄が多いのも私好みである。はばかりながらもお勧めする次第である。もちろん、食事しながら読むことだけはお勧めしない。




UPデータ評価
117 2006.4.19
CSI:科学捜査班

マックス・アラン・コリンズ〔著〕 / 鎌田 三平訳

角川書店 (2005.3)

☆☆☆


 知っている人も多いだろうが、これはCSIというアメリカのドラマの小説版である。最新の鑑定技術を駆使して犯人を追い詰める科学捜査班の活躍を描いている。

 ラスベガスのホテルで頭に2発の銃弾を撃ち込まれて殺害された男の現場調査が終わらぬうちに、別のメンバーは別の場所でミイラ化した死体を発見する。調査の結果、ミイラ化した死体は15年前に行方不明になった男であることが判明するのだが、奇怪なことにホテルで殺害された男とまったく同じよう、2発の銃弾が撃ち込まれていた。偶然か、必然か。科学捜査班の導き出した犯人は―――

 警察小説としては面白いのだろうけど、捜査のテクニカルな面白さは証拠は語るの方が圧倒的に上である。科学捜査のテクニックがちょっと出てくる警察小説、といったところか。ドラマファンや警察小説ファンは読んで楽しめるのではなかろうか。




UPデータ評価
118 2006.4.22
魂の重さの量り方

レン・フィッシャー著 / 林 一訳

新潮社 (2006.1)

☆☆☆☆☆


 魂の重さは30g、という話を聞いたことがある。初めて聞いたときには根拠もなく何を馬鹿なことを、と思ったことを思い出す。魂なんてあるかどうかも分からないというのに、その重さを確定するなんてことできるわけないじゃないか。そう思ったのだ。

 そんな噂の背景には実に冷静な、事実を見つめようとする目があった。医師マクドゥーガルは死の前後の体重を量り、30gほど軽くなることを見出した。彼は再現実験を行い、ミスの可能性を極力排除して、しかしそれでも死の前後で何かが起こって体重が減少している(ように見える)ことを確認した。

 じゃあそれは魂なのか。そう問う向きもあろう。しかし、その短絡的な飛びつきこそが問題なのだ。マクドゥーガルは決して魂の存在に直結して考えず、あくまで懐疑的だった。研究には細心の注意を払い、細心の注意を払った。しかも、(誰も人間を対象にこんな実験を追試しなかった(あるいはできなかった)ので)マウスでは同じ結果が出たという。青酸カリを用いてマウスを殺すとその前後で秤は軽くなったことを示した。科学の要求する再現性もあることになる。その一方で、無酸素症で殺したマウスではそのような現象は見られなかったという。

 では何を信じるのか。

 そんな問いが、実は問題かもしれない。何かの実在を信じて、信じるものの実在の有無を判断する、ということが。

 信じるがゆえに在るように見える(あるいは無いように見える)ことがらがどう科学の発展に影響を与えてきたかを、いくつかのエピソードを元に描き出す。

 熱量の元となる元素の存在、重力の働き方、光の性質、雷と避雷針、錬金術と化学の連続性、電気と命、生命の設計図など、今の知見に至るまで、どのような試行錯誤が行われてきたのか。分かるのは、科学者は決して”冷静な態度で真理を探求することに情熱を燃やす”という人間離れした存在ではなく、功を焦り、相手を貶め、反論を認められないといった大変に人間的なものである、ということだ。

 それなのに、科学は多くの成功を収めてきた。ニュートン力学に基づく知識は月に人類を送り、太陽系を超えて探査機を送り出してきた。相対性理論は原子炉(そして、悲しむべきことに原爆や水爆)の開発を導いた。量子力学がなければ半導体やレーザーといった現在必須の技術は生まれ得なかった。

 また、生物学に基づいて大腸菌をインシュリン生産工場へと変貌させ、石油化学は身の回りに数多のプラスチック製品をもたらした。負の遺産も確かにあるが、科学の成功なくして今の生活を想像することは困難であろう。道義的に正しいかはさておいて、世界を理解しコントロールするためには驚くほどの成功があった。

 そしてそんな成功を生み出す背景になったのが人間くささだったのだ。一見そうではないように見えるかもしれないが。あたかも矛盾があるようだが、本書に挙げられた例を見るにつけ、そんな思いが強くなる。科学が明らかにした断片的な知識を披露するのではなく、失敗を繰り返しながら真理のかけらを覗き見る。そんな営みを感じられるのが良い。それぞれのエピソードも専門知識がなくても興味をひかれるようなものであるのも良い。科学のリアルな姿を見せてくれる良書である。




UPデータ評価
119 2006.4.23
しあわせの書

泡坂 妻夫著

新潮社 (1987.7)

☆☆☆☆☆


 泡坂妻夫がまたすごい小説を書いてくれたものだ。私が初めて読んだ氏の小説は『生者と死者』で、これは16ページごとに綴じ込みがしてあり、綴じ込みをそのままに読むと短編が、開いて読むと中編が現れるというすごいものだった。短編はちょっと不思議な話なのだが、中編ではそのすべての謎が明らかになる上、登場人物も増え、なんと後書きまで読めてしまうという始末。つくづく感嘆したものだ。本書はそれには適わないかもしれないが、やはりすごい小説だ。ネタを言いたくてたまらない。

 怪しげなヨガの達人、ヨギ・ガンジーが挑むのは怪しげな新興宗教団体の謎である。死んだと思われる者が姿を見られたり、不思議な事件が起こっていく。トリックそのものはそんなにすごいものではない。だが、しかし、ああ、言えないけど、ものすごい秘密が隠されているのだ。読んで確認して欲しい。私は他のシリーズも読んでみたくなった。




UPデータ評価
120 2006.4.25
99・9%は仮説

竹内 薫著

光文社 (2006.2)

☆☆☆


 科学は所詮近似に過ぎない。科学は多くの成功を生んできたという確かな実績があるが、しかしその背後には強引にそう前提するのが楽だから、といったような必然性が感じられないものを含んでいる。でも、科学をやる人は悩まない。なぜなら、たとえ前提があやふやであったとしても、使っている仮説や理論が現実を説明できるのであれば何の問題もないからである。

 本書は科学は完全で完璧な理屈や根拠に基づいて、唯一の真理にたどり着くなんてのは幻想にすぎない、と指摘する。問題は、たぶん、理系の人はそんなこと分かってるということだろうか。素朴に科学はすごいと思っている人が読んだら面白いのだろうけど、ちょっと拍子抜け。ただし、取り上げている例は面白い。飛行機が飛ぶ理由や冥王星は惑星か、といった一般に解決済みであろうと思われている問題が実はそうではないことを示した功績は大きいのではないのだろうか。

 その一方で、進化論が完全に立証されたわけではない以上、仮説としてID説(進化の過程で神が介在したという仮説)も学校で教えても良いのではないかという提言には断固反対。なぜなら、進化論は反証しうるし多くの証拠を積み重ねてきている説であるのに対し、ID説はそうではない。証拠は出せないし、出せる見込みもない。そんなものは教科書のようなところで取り上げるべきではない。もしID説を取り上げるのであれば、胡蝶の夢のようにこの世界は現実には存在せず、蝶の夢に過ぎないといった、ID説と同じ程度(すなわち限りなく0%に近い)には説得力がある仮説も取り上げねばならないだろう。

 女は男より後に作られたから劣った生物だとか、黒人は神の作りたもうた天然奴隷だなんて類のトンデモを大量に生み出してきたキリスト教がまた新たな珍説にすがっている、というのが実情だろう。







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